発売当初、「マリオカートの歴史を変えた神ゲー」と世界中から絶賛された『マリオカートワールド』。
しかし、その熱狂の陰で、インターネットの検索窓には「つまらない」「失敗作」「飽きた」といった、ネガティブな検索ワードが並ぶという奇妙な現象が起きています。
なぜ、革新的なオープンワールドと24人対戦を導入したはずのこの大作が、一部のコアユーザーからこれほど厳しい批判に晒されているのでしょうか。
この記事では、ネット上に存在する具体的な批判意見を徹底的に検証し、本作が「失敗作」と呼ばれる理由と、それでもなお『マリオカートワールド』が傑作であると断言できる理由を探ります。
「つまらない」「飽きた」「期待外れ」:オープンワールドの罠

『マリオカートワールド』の最大の目玉は、従来の3周コースを廃止し、広大な世界を駆け巡るオープンワールドの概念を導入したことです。
しかし、この革新こそが、一部のユーザーに「つまらない」という評価を下す原因となりました。
昔ながらの「コースの緊張感」の喪失
最も多かった批判は、「広大すぎて密度が薄い」「走らされている感じがする」というものです。
従来の『マリオカート』は、1周の密度が高く、コーナーやショートカットの配置、アイテムブロックの位置など、すべてが計算し尽くされていました。
「自分は8DXは1000時間は遊べましたが今作は15時間遊んで終わりです、大型アプデもない限り再び起動することはありません。」
Yahoo知恵袋
という意見が象徴するように、広大なフィールドを一度走り抜けるだけの「大陸横断レース」は、同じ場所を何度も周回することで生まれる「熟練と緊張の快感」を奪ってしまったのです。
コースを完全に覚え、0.1秒を削るための緻密な努力が、フィールドの広さによって希薄化してしまったと感じる古参プレイヤーにとって、これは「期待外れ」に他なりませんでした。
また、「あの広大なフィールドをドライブするのは楽しいけど、クルマ縛りがあるので妙な束縛感があります」という意見は、オープンワールドの自由な雰囲気と、レースゲームとしての「決められたルート」の間にあるジレンマを的確に表しています。
自由を求めても結局はレースのルールに縛られるという感覚が、「飽きた」という結論に繋がってしまったのです。
「被弾多すぎ」「運ゲー」の叫びと24人対戦の是非
本作への批判の多くは、単にゲームプレイの質だけでなく、「運要素」の増大、すなわち「被弾多すぎ」「運ゲー」という不満に集約されています。
これは、参加人数を従来の倍である24人に増やしたことによる必然的な結果でした。
逆転要素の限界を超えたカオス
『マリオカート』は元々、アイテムによる逆転要素が魅力ですが、24人が同時にアイテムを投げ合う空間は、もはや戦略が機能しない「極度のカオス」です。
- 理不尽さの増幅: 懸命に順位を上げた直後に、サンダーやトゲゾーこうらを避けきれず、一気に最下位まで転落するケースが増加しました。サンダーが上位にしか当たらないように調整されたとはいえ、24人という密度の中でアイテムの飛び交う頻度が上がった結果、「運が悪かった」と感じる機会が圧倒的に増えました。
- 努力の無効化: 上記の通り、「普通に失敗作だと思います、あれに高評価付けてるのは息子や孫にプレゼントのエアプか任天堂信者だけです」といった辛辣な批判の背景には、自身のプレイ努力が一瞬で無効化される理不尽さへの強い怒りがあると考えられます。
「カオスな楽しさ」と「理不尽なストレス」の二極化
一方で、この24人対戦の混沌を「楽しい」とする意見も明確に存在します。
「自分は24人対戦に増えたことで中盤がかなり混戦するのが楽しいのと…」
Yahoo知恵袋
この意見の対立は、プレイヤーが『マリオカート』に何を求めているかの違いを反映しています。
- カジュアル層: 予測不能なパーティーゲームとしての「わちゃわちゃ感」を楽しんでいる。
- コア層: スキルと戦略が報われる「競技性」の崩壊に強いストレスを感じている。
任天堂は、より多くの人に届く「楽しい」を追求した結果、ロイヤリティの高いコア層を切り捨てるような、リスキーなバランス調整に踏み込んでしまった可能性があります。
批判の核心:ユーザーが望んだものとの戦略的な乖離
これらの批判を総合すると、『マリオカートワールド』が「失敗作」と呼ばれるのは、技術的な問題ではなく、任天堂が想定したターゲット層と、実際に批判の声を上げているファン層の間に乖離が生じたためだと結論づけられます。
戦略的な判断としての「失敗」
任天堂が目指したのは、過去作を遊び尽くしたコアなファンを「満足させる」ことではなく、オープンワールドの魅力を引っ提げて、新たなファン層(特に次世代機購入者)を獲得することでした。
その結果、緻密なコースを愛するファンにとっての「マリオカートらしさ」が失われたことが、「期待外れ」という結論に繋がったのです。
これは、ユーザーにとっての「失敗」であっても、任天堂の経営戦略としては「次世代機への移行を促す」という目標を達成するための、戦略的な選択だったと言えます。
まとめ:それでも『ワールド』が傑作である理由
『マリオカートワールド』への批判は、すべて真っ当であり、本作が「万人に愛される作品」ではないことは事実でしょう。
従来の緻密なレースの緊張感は失われ、運要素が増大したと感じる人がいるのも当然です。
しかし、その批判を理解した上でなお、本作が未来のレースゲームの礎を築いた傑作であることは否定できません。
- 大陸横断レースの爽快感: 批判の意見にもあったように、「同じ場所を延々と3周するのより大陸横断レースのようなスタートからゴールまでずっと違うルートになるのが好き」という新しいレースの価値観を創造しました。
- 新アクションの純粋な楽しさ: レールグラインド、壁走りといった新しいアクション要素は、オープンワールドを立体的に使う純粋な楽しさを提供し、「マリオらしく走り回って空飛んだり」という自由な欲求を部分的に叶えています。
- 「ショートカット」の再定義: 「過去作以上にショートカットを知っているかどうかで差がつきやすい」という意見は、オープンワールド化によって失われたかに見えた「技術で差をつける快感」が、新たな形で残されていることを示しています。
『マリオカートワールド』は、シリーズの常識を壊した野心的な実験作であり、過去の栄光を守る道を選ばなかった任天堂の「攻めの姿勢」の象徴です。
その革新性が一部のファンに受け入れられなかったとしても、この挑戦こそが、今後数十年のマリオカートの未来を切り開く、紛れもない傑作だったと評価できるのではないでしょうか。









